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自己紹介

@kanamarutomoko

はじめまして! 都内でフリーランスヨガ・ヤムナ講師として活動しているMakoです。

現在、ヨガスタジオやフィットネスクラブなどで年間約1000本のレッスンを受け持っています。

本名 金丸 友子 (カナマル トモコ)

1987年2月10日 東京都多摩市永山に生まれる。

一人っ子のB型。

現在、東京都八王子市みなみ野に在住。

もともと友人の付き添いではじめたヨガでしたが、こうして講師になるほどどっぷりとハマってしまいました!

ここでは、わたしの生い立ちやヨガ講師になるまでの活動を振り返りながら、どんな信念をもって今の仕事と向き合っているのか綴っていきます!

 幼少の頃

私は幼少の頃から「ひとつの事に夢中になるタイプ」で、好き嫌いがはっきりとした子供でした。

好奇心旺盛の冒険好きで、将来の夢は考古学者でした。

とても自然豊かな環境で育ったので夏になるとカブト虫やサワガニなど捕まえて泥まみれのパンツまる出しwでよく遊んでいました。

そして怖いもの知らずに拍車がかかった小学4年生の頃。鉄棒を跳び箱代わりに飛んで右腕をばっきり折って帰ってくるようなおてんばものに成長し、母にはよく「男の子を育てているみたいだ」とも言われていました…

左の大股開いてピースしているのがわたしです。

学生時代

学生時代は起きている間は音楽に没頭していました。

はじまりは中学生になってから友達と組んだガールズバンド。ボーカルとして歌い始めました。

その後、60年代のブルースロックに影響を受けて楽器(ベース)にのめり込み、スタジオミュージシャンを目指して高専に進みました。当時は7つのバンドを掛け持ちしていたので防音室やスタジオにこもって練習したりライブハウスでliveに明け暮れる毎日を過ごしていました。

夢中になり過ぎて3日3晩寝ず食わずで活動し、電車で立ち寝して前の席に座っていたサラリーマンにDIVE!!した事もありましたw

このころは性格もRockで生意気でトゲトゲしく(笑)なんともかわいげのない尖った女子高生ロッカーでした‼

今はゆる~くウクレレとかたまに弾きます♫ 

前職→ヨガ講師への道

前職は車屋さん。

実はMT車の運転とスポーツカーやクラッシックカーが好きで19歳で免許を取ってからはずっと日産のスポーツカーに乗っていました。(180SX→フェアレディZ33)

現在はじめてのオフロード4駆(ジムニー)に乗り換えました!

車好きで自分でも若い頃にダートレースや整備工場をやっていた父の血でしょうか、親子は似るものですね。

他にも医療事務、営業事務も経験しました。

営業事務の仕事をしている頃は週5で地元のホットヨガスタジオに生徒として通っていましたが、学生時代からろくに運動してこなかったのでヨガポーズの形に入ることもままならない状態でした。

今まで健康にまったく気をつかってこなかったわたしはヨガの必要性はやればやるほど感じて探求心に火が着き、ヨガ講師になるために居心地の良かった営業事務を辞めてすぐにヨガスクールでRYT200の短期集中講座を受けました。

資格を取っただけでは人に教えられる自信がまったくなかったので経験を積むべく、業界で「本格的ヨガ」と噂に高かった大手ヨガスタジオ(ゼンプレイス)へ正社員として入社し、ヨガ講師としての活動をスタート。

このスタジオが業務も教育もかなりハードで日に先輩のレッスンを2.3本受講し、自分のクラスも2~5本ほど教えてと、たくさんヨガをしている割にはアドムカシュワナアサナ(ダウンドック)で腰が丸まったまんま伸びない…と、基本的なアサナですら変化がなくもちろん逆転など難易度の高いアサナもできるようになりませんでした。

それも当然、「そのアサナでなにが重要?」「正しい身体の使い方とは?」「アライメントの見方はどうみる?」「できないアサナの練習方法は?」「生徒さんの身体にどんなミスアライメントが起きてる?」とそれはもう疑問だらけで自分自信で体感&理解できずにいたので自分のクラスでも先輩のインストラクションをマネするだけの状態が半年以上続きました。

疑問だらけで自分の教えている事に自信が持てず、応用も利かないので「この先生わかってないのかな…」と見透かされてしまうのでは…と不安と申し訳なさでレッスンすること自体が「苦しい」と思うことが増えていきました。

生徒さんの身体を見てもなにが起こっているのかも分からないのでなんとなくそれっぽい修正の声掛けをしてやり過ごしてしまったり、質問されても曖昧にしか応えられず…

もともと本質を求める性分と嘘がつけない性格なので胸に鉛をのみ込んだように心も身体も重く、自分のやっている事に意味を見いだせず精神的にも追い詰められていきました。

入社して1年が経とうする頃ついに疲労し切って体調を崩し「急性腎盂腎炎」になり「敗血症」を発症し全身に菌がまわって危うく死ぬところでした。

免疫力の高い若者がここまで進行することは珍しいと医師に言われ、自分が限界だったことに気がつきました。もし腎臓へのダメージが大きく慢性的に機能が衰えれば人工透析になりかねない事態なので本当にゾッとしました。

この病をきっかけに健康になるはずのヨガを毎日こんなにしているのにどんどん不健康になっている自分も、自分が人に教えているヨガも「なにかやり方が間違っている」ことを決定的に突きつけられました。

アイアンガーヨガとの出会い

わたしがヨガという砂漠をさまよい、憔悴しきって道を見失っていた時に出会ったのがアイアンガーヨガでした。

アイアンガーヨガの指導員に徹底的に基礎から教え直してもらうことであんなに変わらなかった身体が変わり、できなかったアサナができるようになり、理解できなかったことがどんどん理解できるようになったことでいままで自分がやっていたアサナが別物だったことを思い知りました。

そして、アイアンガーヨガ指導員のアサナと真摯に向き合う姿勢とレベル感を肌で感じ、「自分はヨガを甘くみていた…」と反省しました。指導員の人との温度差がありすぎて自分がヨガインストラクターと名乗っていたことすら恥ずかしくなりました。

この衝撃的な体験のおかげで今は自信を持って教えることができるようになりました。

やっと自分が探し求めていたものを見つけることができてわたしは恵まれたなと師に本当に感謝しています。

退職→渡米→フリーランス

大病をしてから半年後にスタジオを退職。

3年は経験を積もうと思って入社しましたが、1年半で辞めました。

理由はフロースタイルのヨガを学び続けたいと思わなくなったから。

そして、フロースタイルで身についてしまった癖(間違った身体の使い方)をなおすためにアイアンガーヨガでプロップスを使い正しい身体の使い方に矯正しても、自分が担当するクラスはフロースタイルが多く自分の癖が戻ってしまいいたちごっこのような状態が嫌になったからです。

※あくまでもわたしにはフロースタイルが合わなかっただけで他の流派を否定してるわけではありませんし、アイアンガーヨガにもフローシークエンスはあります。

さらに大病をしたことで「死」を意識し、明日死ぬとしたら自分は今何をする?と自分の現状を直視した時に「人生初の大病を患うほど合わないスタイルのヨガも会社も辞める」と自信はありませんでしたが、フリーランスとしてやっていく決心をしました。

その後、ずっと行ってみたかった海外へ!

英語力なし初海外旅行・初ひとり旅・飛行機乗るのすら2回目…(笑)で不安しかありませんでしたが、カナダ(バンクーバー)アメリカ(シアトル、ラスベガス、NY)を1か月かけて旅しました。(ちゃんとヨガもしてきました)

写真はグランドキャニオン

いろんなハプニングがありましたが、旅行記はまた別の機会に。

帰国後、フリーランスのヨガ講師として活動をスタートし現在にいたります。

わたしが大切にしていること

わたしが大切にしていることは自律・自立することです。

これは字のごとく。自分を律して、自分で立つことです。

私は早くに「がん」という病で父を亡くしているので病気になったら病院が治してくれるなんていう自分の中にあった甘い考えや常識のようなものはその時から強制的に消し去られました。

病になってから藁をもつかむような気持ちで効きそうな健康法や治療法を試したり「もっと健康に気を使っていれば…」なんて後悔している間にも問答無用に病は進行し、手術を繰り返すうちに体力は落ち、命は簡単に尽きるものだと実感してから「病」に対しての恐怖心は人一倍強くなりました。

この経験から医療というものを疑い、健康法を疑い、常識を疑い、ヨガの効果も疑い、自分で何度も試して効果を感じた・納得できたことしか信用できないし受け入れられなくなりました。

本質的なことに辿り着くにはくもりなき探求心と忍耐と多角的な思考と視点が必要だと感じています。

自分を律して練習と探求を続け、医者や整体などに頼らず自分で自分の健康を維持することができるように実験し立証したいと常に考えています。

そして私のやっている事に興味・共感をもってくださった人にも自分で健康を守れるようになって欲しい。

ヨガ・ヤムナという効果的なツールを理解して上手に使って自分を整えられるようになって欲しい。

私の願いはこれだけです。

これを叶えるために、私は身体にフォーカスしてしっかりと整えていくことに取り組んでいます。

プロフィール
Mako
Mako
ヨガ講師・ヤムナ認定プラクティショナー
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